先日の折々のことば(朝日新聞/2019年1月31日/鷲田清一氏)で先日紹介されていたことば

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「おじいちゃん、おばあちゃんの最後のつとめは、孫や家族に自分が死ぬところを見せることではないか」
引用ここまで*****




自分も歳をとってきて、もう人生は残り少なくなってきた。
老いを感じることも多くなって、昔のように身体も動かず、かといって思索が深くなるわけでもなく、本を読めるようになるわけでもなく。

いける場所も、考えることも少しずつ限られてくるようになると、すこしずつ死が身近になってくる。
でも写真を撮る人間としては、死を想像できるひとであったほうがいいとは思っている。

以前、若い、写真を撮るひとたちと話をしていてどうしても噛み合わなかったところがあった。

どうして噛み合わないのだろうと思った時、なんとなく感じたのが、死について想像しているかいないのか、ということだった気がする。

いまの私の世代、50代から60代は、親が幼い頃に戦争を体験していたり、祖父が戦争に行っていた時代。
どうしても戦争は身近なものであり、死は隣りにあったものだったのではないのかなと思う。

ところが10歳下の40歳前後の世代になると親は戦後生まれになってくる。
そのあたりがおそらく写真観を隔てているものなのかなと思う。

いいとか悪いとかはあまり断言はできないけれど。
写真を撮る仕事には、死を感じる心が必要だと思っている。